最近、芥川賞作家でお笑い芸人の又吉直樹が書いたエッセイを読みました。タイトルは「芥川龍之介への手紙」です。その手紙は数年前に発行されたエッセイ集の巻頭を飾っていました。
又吉がその手紙を通じて芥川に伝えようとしたことは、単なる敬意や思慕ではありませんでした。冒頭が「そもそも、道徳というものを根底から疑っていました。」で始まるファンレターなどあるでしょうか。
又吉は芸能生活や日々の人びととのふれあいの中からいくつかの場面を切り取って芥川に見せ、そしてそういう中で生じる痛みや面倒臭さを「痛いから嫌や」と切り離すことができない自分を書きました。そういった厄介の一切を、逐一確かめつつ生きることへの消極的な決意の姿勢は、芥川のそれとマッチしているように私には思えました。
又吉はまた手紙のなかで、子供のころから抱いていた世の中の欺瞞への疑問を語りかけ、芥川の筆によって救済されたエピソードを挙げ、また気軽な議論を挑んだりもしています。
それを読んでいると、まるで又吉と芥川の”仲の良さ”を見せつけられたような気分になりました。その親しさは、稀代の文豪をさらっと呼び捨てにしたエッセイのタイトルにも表れているように思います。
私は図々しくも、又吉がうらやましくなりました。
作品についていくらでも語れるほど詳しくて、その作品たちと長い時間を暮らし、自分にたくさんの影響を与えてきた”仲良し”の人なら、私にもいる。
それであなたに手紙を書こうと思いました。
私にとって初めてのあなたの音楽は、ドラゴンクエストⅢの「王宮のロンド」でした。
生まれて初めてプレイするロールプレイングゲーム、どうやって遊ぶべきかてんでわからず混乱した私は、記念すべき初めての勇者にどういうわけかまさかず、と父の名前をつけました。
文字どおり右も左もわからない画面をさまよって、まさかずが最初のお城にたどり着いた時の衝撃を私は今も忘れていません。
聴こえてきたのはバッハの対位法を採り入れた、緻密で正確でシンメトリーな、紛れもないバロック音楽でした。
なぜ、どうして、なにがどうなってファミコンからバッハが鳴っているのか。
当時のほとんどのゲームには、音楽らしい音楽がついていませんでした。ほとんどだれも、と言っていいほど、ゲームから鳴る音を重視していなかったように思います。
ピコピコ、と鳴ればああ今走っているな、とか、ズドーンと来たらああ今ダメージを負ったな、とか、そういったキャラクターへの生殺与奪がなんとなく直感的にわかる効果音があればそれでよく、たまに単音のBGMが入っていたりすると、おお気合入ってんなという時代でした。
だから、だれが、いったい、なんの意味があってファミコンでこんな重厚な、本物の音楽を披露しようとしたのか。
わたしははげしくこんらんした!まさかずはまひしてしまった!勇者は冒険を放棄した!
その後数時間、私とまさかずはただひたすら城門に立ち尽くして王宮のロンドを聴いていました。
バッハ・インベンション曲集第1番はこの曲です、ともし言われたとしたらああそうなんですね、と疑いなく受け入れてしまいそうな、堂々としたハ長調。左手が右手を、右手が左手を正確無比に追いかける2声によって完全に調定された世界。
同じ主題が何度となくくり返される音楽形式は、言ってみれば単調です。けれど、次はこうくるだろうと予想したとおりの音符や旋律が、予想したとおりのタイミングで聴こえてくるとき、人間は、気に入った本を何度も手に取るときのような居心地の良さを感じるのだと私は知りました。
そしてまた、あなたはそういう人間の安心感を裏切る技量においても卓越していました。人を一発で不快にさせる和音やリズムを熟知しているあなたは、その楽典的知識と才覚と、もしかしたら少しの底意地のわるさをもって、あの有名な ”おきのどくですがぼうけんのしょはきえてしまいました” 音を生み出しました。
だれがいったい、どんな勇気と企みをもって、ピコピコズドーンの世界でこれほどまでに本気の音楽をやろうとしたのか。
私がドラゴンクエストを愛する理由はいくらもあります。しかし、中でももっとも私を魅了したことのひとつは実にそういった、芸術家がゲームなどという遊びと本気で四つを組みに行ったことに対するカタルシスではなかろうかと思っています。大の大人が、しかもあなたをはじめとする各界を代表する文化人たちが、本気出して血まなこで遊ぼうとしている、そのことが私を突き動かし、ときに下手な文章を書かせ、今日まで勇気づけてきたのだと思います。余談ですがいくつかのオーブを集めたあたりで、おきのどくですがまさかずのぼうけんのしょはきえてしまいました。
私はあなたの手を一度だけ握ったことがあります。
正確にはもう何年前のことか思い出せませんが、札幌市のホールで開かれたコンサートの後に握手会がありました。
まさか本物のあなたと対面する機会が与えられるなどということを知らなかった私は、友人と一緒に歓喜して長蛇の列に並びました。
80歳を越えていたあなたは椅子に座り、それは凄まじい人数との握手を、長い時間かけてにこやかにこなしていました。
あのときの会場は2000人を収容する大ホールでした。およそドラゴンクエストの音楽を聴きに訪れた人の中で、あなたと握手するチャンスをみすみす逃すような者が多く居るとは思えません。それは本当に長い列でした。おとなも子どもも、老人も並んでいました。ドラクエⅢの賢者と思われるコスプレの男も普通に並んでいました。ちゃんと手製っぽい杖も装備していました。よくそれで地下鉄乗ってきたなと思いましたが、しかし私は賢者への対抗心を抱いている自分に気づきました。
あなたはきっと賢者を目の前にして、「わあ、すごいね!それはⅢの賢者だね」などの言葉を彼にかけて、彼を喜ばせるでしょう。どうにかして私もあなたから特別な言葉をたまわりたい、あなたの記憶の端に少しでも残りたい。
並んでいる間じゅうそんなずるい考えを巡らし、ついに握手の順番をむかえた私は、
「私は先生が作られたドラクエの曲を全部ピアノで弾けます、なんなら全部暗譜しています、今まさにココに入っています!」
自分の側頭部を指して絶叫しました。
作曲者本人を相手にしていったい何を自慢しているのでしょうか。
直立姿勢、早口、震え声、場にそぐわない声量、とオタクの短所のすべてを出し切った最高に気持ち悪い私に、それでもあなたは言ってくれました。
「ほう!それはすごい、がんばったね!あなたそれは本当にすごいよ!私よりすごい!」
一字一句、忘れることはできません。あなたが三度も連呼した「すごい」、それはもう、一生分誉めてもらった気がして私は立ち尽くしました。賢者との戦いに勝ったか負けたか、そんなことはもうすっかり忘れていました。というか今日この手紙を書くまで賢者のことは忘れていました。
世界中にファンを抱えるあなたは、きっとそちらの世界でもたくさんの人びとに囲まれているでしょう。話しても話しても話しきれないくらい多くの人たちが、あなたと言葉を交わしたいと集まり、列をなすのでしょう。
本当にそうなのかは未だ知りませんが、そちらには永遠の時間が流れているようですから、焦る必要はないのですね。
いつの日か私はきっとまた長い列に並んで、あなたの手を握りたいと思います。
「あなたはすごいね、がんばったね」と、またあなたに言ってほしいから。
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