フライドポテトの教え

 

 出先からうちへ帰ろうとする平日の昼下がり、陽光のなかをゆっくりと走る各駅停車は人もまばらで、スマホをのぞき込む人も、文庫本をめくる人も、ぼんやりと窓をながめるわたしも、みなが同じリズムでのんびりと揺れていた。
ふと、その空気をふるわせる人がいた。
さっきの駅で乗ってきた彼が手にしている小さな紙袋を、車両に乗り合わせた人々はひそかに、だけど、みんな見た。
…揚げたての匂い…!

 他のファストフードのお持ち帰り袋を持った人がいても、ああこれはどこそこの店のメニューだなんて判別できることはないのに、どうしてマックのフライドポテトだけはこれほどまでに強烈に正体を主張するのだろう。
でもそういえばわたしは遠い昔にマックでアルバイトをしていたことがあって、そのとき指導してくれたマネージャーが、「ファストフードチェーンの中でマックだけが唯一、ポテトを動物性油で揚げている」と教えてくれたのを思い出した。
牛や豚からしぼり出された脂肪を燃やした匂いは、やれダイエットだの健康志向だのSDGsだのという現代的ヒトの外面をぜんぶ取り去って、わたしたちを原始的な獣に還すのかもしれない。

 ニュースを見るとマックのポテトは品薄で、今はSサイズしか販売がないらしい。
あまりたくさん食べられない、かんたんには手に入らないと思うと、獣はそれをより強く欲しくなる。
都心のマックは平日のおやつ時でも混雑していて、流されやすい獣たちが長蛇の列をつくっている。
さて、この欲深く浅はかな自分たちの性質を、わたしたちはもっと意識すべきじゃないだろうか。



 長くドラゴンクエスト10をやってきてわたしが驚いたことのひとつは、世の中には「怒り続けることができる人」がいる、ということである。
その人たちは、毎月の月額課金のほかにもキャラクターの見た目などにたくさんのお金を使っている上に、日夜膨大な時間と体力をドラゴンクエストに注ぎ込んでいるが、どういうわけかドラクエそのものに対していつもものすごく怒っている。
彼らは新しい武器防具を買っては怒り、ストーリーをクリアしては憤り、SNSやブログを立ち上げて憤怒をつづる。
それで心スッキリなさったのかと思えばそうでもなさそうで、またどこからか新たな怒りの種を拾ってきては運営スタッフを呪ったり、時には楽しく遊んでいる他のユーザーに絡んで行ってひんしゅくを買ったりしている。
さいきん精神医療の作業療法士のかたとお話しする機会があり、「趣味は、というかストレス解消の策は、いくつもたくさん持っていた方が良い。質より量が大切です」ということを教えてもらった。
なるほど、怒れるドラクエプレイヤーも、つまりは圧倒的に偏執的に、ドラクエだけを愛しすぎているのだろうと思った。
そのパワーはただただ、すごい。
本来怒るというのは非常に疲れることなので、一度噴火するだけでもものすごく消耗するはずなのに、毎日毎日休むことなく怒りの資源を発掘して、燃焼させ続けられる持久力はすごい。
でも、好きなものを愛しすぎることは苦を生むのだろう。
自分が愛した質量と、同じだけ愛し返してくれない恋人を憎むみたいに。

 ドラクエから離れてみることができれば、ドラクエの良いところも悪いところもわかる。
たとえば他のゲームをやってみるだけでも、ドラクエでは弱みになっている点がすっかりクリアーされていて楽しめたりする。
次にどこに行って何をすればいいのか明確にわかっているドラクエは親切ではあるけど、実は自由という魅力には乏しいのかもしれない、と気づいたりする。
そうすると別にドラクエがダメでも他を遊べばいっか、と選択肢が増える。
作業療法士さんが言っていた質より量、というのはきっとそういうことなのだろう。
味の濃い動物性オイルのポテトだけじゃなくて、なるべくいろんなポテトをローテーションで食べる。
自分自身を、愛しすぎる呪縛から解放して楽にするために。

 わたしは最近月額課金が途切れていて、ドラクエのログインが減ってしまったけれど、久しぶりにアストルティアに戻ると、ああやっぱりすぎやま先生の音楽はすばらしいとあらためて感動して涙が出そうになる。
丹念につくられたグラフィックに対しても、老若男女幅広い層にとって便利であろうとするホスピタリティにも、素直に尊敬の気持ちを抱ける。
 長年のファンだから難しいけれど、できるだけ愛しすぎないファンでいたい、がんばり疲れしないファンでいたい、と思う。
愛すべき時にむじゃきに愛せる感覚を失くさないように。