不要不急の王国

コロナはわたしたちが当初考えていたのよりもずっと強くて、さらに忍耐があって、賢かった。
イギリスとかアフリカでは、前よりも感染力の強いすがたに変化したとも言われていて、それに、やつらはもう日本にも入り込んできているらしい。
それで最近この闘いはわたしの頭の中ではもう、人類とウイルスのなぐりあいのイメージだ。
わたしたちだけじゃなくて、あちら様もけっこうマジでこちらを駆逐する気で来ている。
相手に負けないスピードで変容し進化し、必死で種の存続を守ろうとしているという点では、人間もウィルスもどちらも、等しくシンプルに、ただの一個種の生物だ。
善いも悪いもそこには無い。



そこでこのマッチレースに勝つために、とうぜんこちらも犠牲をはらっている。とくに、さわるとか見るとか食べるとかの、リアルの体験を、やつにはだいぶくれてやった。
だけど思いかえしてみると、わたしたちはけっこう前から、リアルをみずから棄てるような行動を好んでしてきていたのだ。
わたしたちは生まれつき、遠くまで見わたせるように前を向いた目を二つも持っているのに、どういうわけか薄っぺらい液晶で視界をさえぎりながら歩き、わざわざ耳の穴のかたちに合わせて造られたプラスチックのかけらで耳をふさいで、周りの人の声や音を拒絶する。

やつらに遭っていなくてもわたしたちは、こうやって生まれ備わったものをつぎつぎにみずから棄てて、何か別の新しい価値を、より生命の本質から遠い、不要不急の欲求を追いかけてきた。
もう、それらがなくなった世界を描けない。
コロナが攻めてくる前からとっくに、ここは不要不急の王国だった。

それだけでもわたしたちは十分倒錯的でマゾかったのに、やつらの侵攻はさらに、わたしたちに鼻と口まで塞がせた。
もう朝の駅前のパン屋さんを横切っても、焼き立てのにおいはしない。
美味しそう、って予期の歓びで舌が勝手に湿ってゆくあの感覚も忘れた。
布の仮面の裏側に引きこもっていることは、息苦しいと思っていたけれど慣れてしまうと意外と心地よくて、余計な一言を言わなくなったわたしたちは小競り合いも減ったけれど、1年も経つと、仮面の下の親友の顔がどんなだったかの記憶があやしくなってきた。

任天堂の社長だった岩田聡は「わたしたちは、本来人間に必要のないものを作っている」と、自分の仕事のことをそう言っていた。
彼の死から5年経った今はしかし、ゲームとかエンターテインメントの立ち位置は劇的に変わった。人々の価値観が、ハイブランドか車の所有みたいな物質系のそれではなくて、脳みそに”タノシイ・ウレシイ”のしわを刻むことそのものへ変わってきた、というのは、わたしたちが課金装備やマイタウンにお金や時間を投じていることからもよくわかる。

そしてコロナの侵攻も、わたしたちがタノシイウレシイを貪る本能に正直になることを強烈に促した。
だから苦しいのだ。
不要不急は人類のたいせつな慣習で、しあわせの素材だ。
正直全然体に良くないけどケーキに乗せる生クリームは、甘くなければ意味が無い。
そう気づいてしまったから。
いつかこの記事を、事が終息した数年後にでも読んだら、タイムカプセルを開けたような感じで面白いんだろうなと思う。
コロナが人類に気づかせたことは多い、皮肉にも。

この闘いはたぶんまだまだ先まで続いてしまうのだろう。
だからその間きっとまた世間のいろんなことが変わるついでに、言葉が1つくらい変わったっていい。
ダメなのは不要不急、じゃなくて、無謀無策だよね、って気がわたしはしている。

とりあえず今日もご自宅にこもって、仕方ないから日がなゲームをしてやろう。
きっと遠くない未来に、甘すぎるクリームを、ずっと会えなかった誰かと舐めよう。
1ミリも中身のない、無駄極まりないおしゃべりをいっぱいしよう。