自キャラとはオノレにとって何か。
わたしは変態さんなので、ドラ10をプレイしていると、そんなことをよく考えてしまいます。
人間とはいったいナニモノなのだろう。
無邪気なプクリポ、可憐なエル子、屈強なるオーガの戦士。
どんな仮面をかぶっていても、選ぶ言葉に、着る服に、よく使うしぐさに、必ずその人の中身がハミ出している。
だからネトゲは面白い。
そう思う。
だからね学生の皆さま、今日はマキ学長とともに考えていきましょう。
自分と、自分のキャラクターの関係性について。
あなたにとって、あなたのキャラクターとは、何でしょうか。
アストルティアで生きる、もう一人の自分自身?
自分とはかかわりのない、たんなるゲームの主人公、ただの画素の集合体?
それを解読するためのひとつの鍵として、今日は「一人称代名詞」を取り上げてゆきましょう。
ネトゲをするとき、どんな一人称を使うか?
学長は、ドラ10をプレイして周囲と会話をするとき、自分のことを「わたし」と言っています。
これは、ふだん、現実でわたしが使っている一人称と同じです。
しかし、学長のように「リアルで使っている一人称」と「アストルティアで用いる一人称」が一致していることは必ずしも一般的ではありません。
むしろ、「中の人ではなく、キャラクターや世界観に合わせて一人称を選んでいる」人が、アストルティアには相当数存在しており、これはとてもおもしろいことだとわたしは思っています。
① キャラの種族、性別、あるいは状況にふさわしい、と自分が思う言葉を、意識的・無意識的に選んでいるプレイヤー。
例1:アストルティアという社会での立場を考えて一人称を選ぶケース。
例2:自分を名前呼びするケース。
例3:使っているキャラクターに一人称や言葉づかいが引っ張られていくケース。
こうした動機で一人称を変えている場合、一人称だけでなく、話し方そのものも、「自分がイメージするエルフ」にあわせて、ていねいになったり、中性的になったりと、自分でも気づかないうちに変化していないでしょうか。
自分自身や、周りのフレをじっくり観察してみると、いろいろ発見があるもんです。
② まさに別の誰かになりきる「ロールプレイング」をしているプレイヤー。
もはや一人称をアレンジするという範囲を超えて、独立した一人格を形成するタイプのプレイヤー。
たとえばわたしのフレンドでいうと、おじいちゃん設定のドワ男さんがいまして、彼の一人称は「ワシ」です。
おじいちゃんはわたしが久しぶりにインすると「久しいのう、マキ」って声かけてくれたり、お年玉くれたりします。
そういえば昔、広場の日誌で「主従関係のロールプレイがしたいので、わたしを従えてくれる人募集します」みたいなやつを読んだことがありました。
たしか募集主のキャラは女性でしたが、いいご主人は見つかったんでしょうか。
それとも単になんかいやらしいアレだったんでしょうか。
③ 自キャラを完全に客体視しているプレイヤー
わたしの研究によるところでは、この③型はプクリポさんに多いと考えています。
どういうことかと申しますと、プクリポ使いさんはプクリポを、自分自身というよりは、自分の子どもや、飼っているどうぶつみたいな存在として認識し、可愛がっている人が多いと思うのです。
そのことがよくわかる現象のひとつとして、プクリポ使いさんは、自キャラのことを「うちの子」という表現をすることが多いように思います。
たとえば、あたらしい装備を買うとき。
「これを着た」「かわいいから買った」ではなくて、「うちの子に着せてあげた」「かわいいからうちのプクに課金してあげた」みたいな言い回しをすることがないでしょうか。
ふうむ。
非常に微妙な表現の差異ながら、そこにはじつに面白い「自分とキャラの関係性」がかくされているような気がしてきます。
もう一つ例を挙げてみましょう。
メインキャラ(オーガ男)は自分の分身っていう認識だけど、サブのエル子はやっぱ俺自身ってよりは、自由に動かせるお人形みたいな感覚だな~、みたいなことってあると思うんですね。
こういう場合も、メインキャラとは違い、サブキャラのことは客体視しているので、「俺はサソリまで称号取ったけど、うちのエル子はまだ常闇も行けなくて〜」みたいな言い方をしているのを時々みかけます。
ね?
ネトゲにおける一人称の研究は、単純なようで、一人ひとりの潜在的な意識や葛藤が垣間見えることもある、じつに奥深き世界。
これ、マキ学長は、とってもおもしろいと思っておりますのよ!