自キャラ同一性と一人称の研究

自キャラとはオノレにとって何か。

わたしは変態さんなので、ドラ10をプレイしていると、そんなことをよく考えてしまいます。

人間とはいったいナニモノなのだろう。

そんなとりとめのないことを、途方もない数の人間を観察しながら研究できる、という点において、たぶんわたしとMMORPGとはたいへん相性が良い。

無邪気なプクリポ、可憐なエル子、屈強なるオーガの戦士。
どんな仮面をかぶっていても、選ぶ言葉に、着る服に、よく使うしぐさに、必ずその人の中身がハミ出している。
だからネトゲは面白い。
そう思う。

だからね学生の皆さま、今日はマキ学長とともに考えていきましょう。

自分と、自分のキャラクターの関係性について。

あなたにとって、あなたのキャラクターとは、何でしょうか。
アストルティアで生きる、もう一人の自分自身?
自分とはかかわりのない、たんなるゲームの主人公、ただの画素の集合体?

DQXプレイヤーのみなさんは、どのくらい、自分のキャラと自分を重ね合わせているのでしょう。
本日、記事タイトルにもしましたが、この、キャラへの感情移入度とでもいいますか、憑依度、自分との同一視ぐあい、といったものを、今日ここでは「自キャラ同一性」と呼んでいきたいと思います。

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自キャラ同一性は、わたしがこの5年余りアストルティアで接してきたプレイヤーを見る限り、各人によってかなり大きな差異があると思われます。
また、自キャラ同一性は、アストルティアにおいてそのプレイヤーがどんな振る舞いをするか、あるいはどんな遊びを好む傾向があるか、ということに大きな影響を及ぼすと考えています。たとえば、ゲーム内でしか付き合いのない異性を好きになってしまういわゆる「恋愛脳者」は、自キャラ同一性が高い傾向があるとわたしは思っています。

おお、滋味ぶかき「自キャラ同一性」。
それを解読するためのひとつの鍵として、今日は「一人称代名詞」を取り上げてゆきましょう。

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ネトゲをするとき、どんな一人称を使うか?

学長は、ドラ10をプレイして周囲と会話をするとき、自分のことを「わたし」と言っています。
これは、ふだん、現実でわたしが使っている一人称と同じです。

しかし、学長のように「リアルで使っている一人称」と「アストルティアで用いる一人称」が一致していることは必ずしも一般的ではありません。

むしろ、「中の人ではなく、キャラクターや世界観に合わせて一人称を選んでいる」人が、アストルティアには相当数存在しており、これはとてもおもしろいことだとわたしは思っています。

リアル生活で使っている一人称とは違う言葉を用いている(と思われる)プレイヤーを、わたしはこんなふうに分類しています。

① キャラの種族、性別、あるいは状況にふさわしい、と自分が思う言葉を、意識的・無意識的に選んでいるプレイヤー。

例1:アストルティアという社会での立場を考えて一人称を選ぶケース。

たとえば、ふだんは自分のことを「俺」と言っているけど、初対面や目上の人たちと接する機会も多いので、もっとていねいな「僕」をあえて使っている、というフレンドがいます。
なかなか思慮深い方ですね。
こういう礼儀正しい人が多いのも、きっとアストルティアの特徴の一つなのでしょう。

例2:自分を名前呼びするケース。

「マキね〜、サソリ行きたいの~♥」のような名前呼びといえばぶりっこの代名詞ですが、ほかにも、リアル性別とキャラ性別が異なっている場合に使われることが多いと思います。
実際は男性なのに「わたし」と言うのには抵抗があるので、「マキが僧侶するよ」などのように、自分を名前呼びする。
また、「自分が僧侶します」などと言って二等兵みたいになってる「自分呼び」もよく見ます。

例3:使っているキャラクターに一人称や言葉づかいが引っ張られていくケース。
マキ学長的に、いちばん興味深いのはこのケースです。
リアルでは「俺」だけど、真面目なエル男くんはそんなこと言わない気がして、アストルティアではなんとなく「私」と言っちゃう。
そんな感じです。
こうした動機で一人称を変えている場合、一人称だけでなく、話し方そのものも、「自分がイメージするエルフ」にあわせて、ていねいになったり、中性的になったりと、自分でも気づかないうちに変化していないでしょうか。

自分自身や、周りのフレをじっくり観察してみると、いろいろ発見があるもんです。

アストルティアっておもしろいよね!
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② まさに別の誰かになりきる「ロールプレイング」をしているプレイヤー。

もはや一人称をアレンジするという範囲を超えて、独立した一人格を形成するタイプのプレイヤー。

たとえばわたしのフレンドでいうと、おじいちゃん設定のドワ男さんがいまして、彼の一人称は「ワシ」です。
おじいちゃんはわたしが久しぶりにインすると「久しいのう、マキ」って声かけてくれたり、お年玉くれたりします。

そういえば昔、広場の日誌で「主従関係のロールプレイがしたいので、わたしを従えてくれる人募集します」みたいなやつを読んだことがありました。
たしか募集主のキャラは女性でしたが、いいご主人は見つかったんでしょうか。
それとも単になんかいやらしいアレだったんでしょうか。

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③ 自キャラを完全に客体視しているプレイヤー

わたしの研究によるところでは、この③型はプクリポさんに多いと考えています。
どういうことかと申しますと、プクリポ使いさんはプクリポを、自分自身というよりは、自分の子どもや、飼っているどうぶつみたいな存在として認識し、可愛がっている人が多いと思うのです。

そのことがよくわかる現象のひとつとして、プクリポ使いさんは、自キャラのことを「うちの子」という表現をすることが多いように思います。

たとえば、あたらしい装備を買うとき。
「これを着た」「かわいいから買った」ではなくて、「うちの子に着せてあげた」「かわいいからうちのプクに課金してあげた」みたいな言い回しをすることがないでしょうか。
ふうむ。
非常に微妙な表現の差異ながら、そこにはじつに面白い「自分とキャラの関係性」がかくされているような気がしてきます。

もう一つ例を挙げてみましょう。

たとえばプレイヤーの中の人が成人男性で、メインキャラオーガ男、サブキャラにエル子がいる、といった場合。
メインキャラ(オーガ男)は自分の分身っていう認識だけど、サブのエル子はやっぱ俺自身ってよりは、自由に動かせるお人形みたいな感覚だな~、みたいなことってあると思うんですね。
こういう場合も、メインキャラとは違い、サブキャラのことは客体視しているので、「俺はサソリまで称号取ったけど、うちのエル子はまだ常闇も行けなくて〜」みたいな言い方をしているのを時々みかけます。

キュルル
こんなふうに、人によって、呼び方にこだわりがあったり、無意識のうちにキャラを演じていたり、はたまた何も考えずいつもの一人称を使う人もいたり…。

ね?
ネトゲにおける一人称の研究は、単純なようで、一人ひとりの潜在的な意識や葛藤が垣間見えることもある、じつに奥深き世界。
これ、マキ学長は、とってもおもしろいと思っておりますのよ!


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