新世代の勇者論

どもども、マキさんです!

みなさま どんな連休おすごしですか

とうとつですが(いつものことだけど)、

本日のテーマは、勇者

 

ドラクエと言ったら勇者、勇者といったらドラクエ。
勇者という人たちについて、語りたいと思います。

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シリーズ第一作、ドラゴンクエストが発売されたのは1986年。
以来、ドラクエシリーズだけにとどまらず、多くのRPG作品は勇者という肩書を持つ人物を主人公に据えてきました。

ドラクエでは、過去11作品中には主人公が勇者ではないものもありました。

レベル上げさえがんばれば誰でも勇者になれてしまう作品もありましたし、勇者は主人公自身ではなくその子供だった、というパターンも…。

けれど、そんな勇者不在のシリーズでは何となく「え?ドラクエなのに勇者が主人公じゃないの?」と違和感を覚えた人もいるでしょう

それぐらい、勇者という存在は、日本中のゲームプレイヤーの念頭に説明不要で君臨し続けていると言えます。


勇者とはなにものなのか

シリーズの元祖であるドラゴンクエスト1~3の主人公は、いずれもロトの血統に由来する子孫たちでした。
このように初期のドラゴンクエストでは血筋が重要な勇者の証明となっています。

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ロトシリーズの勇者たち
画:鳥山明 ©SQUAREENIX

ロト三部作が終わり、さらにシリーズが進むにつれて、主人公の出自はしだいに多様化していきました。

ゲーム内での主人公の「結婚」、「子どもの誕生」というイベントが斬新だったドラクエ5。
勇者は主人公その人ではなく、ゲームの後半になってようやく生まれた、彼の長男でした。

そして6の主人公は山里でのんびり暮らす若者、7は漁師の息子。
もはや誰でもなれちゃう一職業に転落したのがこのころの「勇者」でした。
この時代の主人公のイメージイラストを見ても、なんだかボンヤリしたタダの人感が増しています。

ドラクエ7
口を半開きにし、絶望的に頼りなさそうなドラクエ7の主人公(左)
画:鳥山明 ©SQUAREENIX

最新作、XとⅪにみる勇者像の変容

さて、長らく続いていた主人公=タダの人路線を打ち破り、初のオンライン作品となった2012年のドラクエ10では久しぶりに伝説の勇者が登場します。

ところがこの勇者は主人公(=プレイヤーであるわたしたち)ではなく、いわゆるNPC(操作できない脇役)という画期的な登場の仕方をしました。

しかも、ほぼ既定路線だった勇者=男性というイメージをも覆し、一国の王女様が、勇者姫というこれまでにない新しいタイトルを引っ下げて現れました。


ドラクエ10の勇者姫アンルシア。プレイヤーは彼女を助ける盟友となって旅をする。アンルシアはパーティに加わらず、お城でお茶を飲んでいることが多いが、ひとたび戦闘に加わると超強いのでファンの間ではゴリラとか呼ばれることもある。©SQUAREENIX

そして2017年に発売になった最新作ドラクエ11。
いったい今度はどんな奇想天外な主人公がファンを驚かせるのかとマキさんは思っておりましたが。
なんとここにきて、実に20年以上の時を経て、超正統派の勇者が帰って来たのでこれまたビックリしました。

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ドラクエ11のキャッチコピーは「そして勇者は悪魔の子と呼ばれた。」
ゲーム序盤から、伝説の勇者の生まれ変わりであると周囲に認識されている。あとイケメンでもある。


この、ドラクエ10と11、直近のふたりの勇者は、共通して伝説の勇者の生まれ変わり、という出自が明示されており、どちらも王家の出身。
ドラゴンクエストシリーズ最初期を彷彿とさせる、THE 勇者像の再来 …!
一見、そういう風にも見えました。

が、まあここからはもう、オタク流の解釈ではあるんですけども、

わたしが持った感想は、ああ、やはり勇者像は1980年代の原点に回帰したわけではなくて、新しい時代に即して生まれ変わったのだな、というものでした。

というのは、10の勇者姫アンルシア、それに11のイケメン勇者。
この二人、どちらにも言えることとして、一人ではなんにもできないっていうのがあると思うんですよ。

10の勇者アンルシア姫は、もともとは主人公に出会う前に一度、魔王軍の軍勢と剣を交えています。
しかしそこで敗けてしまって、やる気なくしてピースカ寝てた。
主人公である我々が助けに行くまで、フテ寝してましたからね。
そこを叩き起こしに行くまでが結構長い。
なかなか珍しい流れだと思います。

で、勇者として覚醒した後は、主人公といっしょになって冒険をするんですが、このお姫様は途中で敵に何回も誘拐されるわ、NPCなのに装備品を買い与えてレベル上げしたりスキル振りもしなくちゃならなかったりするわ、そりゃも~手のかかる勇者なわけですよ。

そして最新作11のイケメン勇者様。
このヒトもまた、最終的に7人の仲間と旅をすることになるわけですが、この7人の勇者に対する過保護ぶりったらない。
プレイしながら仲間たちと会話できるシステムがあるので、旅の途中でちょこちょこ彼らに話しかけるんですが、返ってくる言葉がことごとく「わたしがあなたを守ってあげる!」「オレがなんとかしてやる!」「私めが貴方の盾となります!」ってかんじでもう蝶よ花よとみんなに愛される坊っちゃん勇者様なワケですね。
勇者以外の仲間たちの存在感が非常に強く、11はこの「全員野球」感がみどころだなあと思いました。

そんなかんじで、ここ最近のふたりの勇者を見ていると、ああ、もう、勇者一人で世界を背負う時代は終わったんだなあとわたしは思ったんです。
まさに現代はチーム力の時代、そして苦手なことはひとにまかせて自分の得意な分野で輝く、アウトソーシングの時代です。

で、そんな現実社会に目を戻してみると、核家族化、地域コミュニティの減退などなどによって人と人の「つながり」が薄くなってしまった我々が存在する。

ふたりの勇者は、まさに今の「人々が孤立した現代社会」を生きる上で必要な資質を持っているような気がするのです。

10と11。
この勇者たちが秀でている点は、血統や伝説に裏打ちされた唯一絶対者であることではなく、周りの人に「この人を助けたい」「何か力になりたい」「いっしょに旅がしたい」と思わせるような強い引力、言い換えれば、人としての魅力を備えている点なのではないでしょうか。

特段抜きんでた才覚があるわけではないんだけど、周りがなんやかんや世話を焼いてくれて、なんかうまくやれちゃうお得な人って、いますよね。
ちょうどそんな感じ。

11の勇者は基本喋らないのでよくわからないですが、10の勇者姫アンルシアは、最初こそフテ寝していたけど、非常にコミュニケーション能力が豊かで、また彼女の真っすぐな性格は随所でプレイヤーの心を癒し、勇気づけてくれます。
そしてその心の豊かさに、わたしたちはどうしようもなく惹かれて旅をしている…。

勇者像は、「伝説の血を引きし最強の英雄」から、「別にたいしてすごくないんだけど、人から好かれる人」へ変わってきたのかな。
マキ学長はそんなふうに思っています。

いやー、ドラクエ11も素晴らしくおもしろかったよね。
早く12出ないかな…スクエニの皆さん愛してますチャッチャと次回作よろしくお願いしまあーす!


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