ドラゴンクエスト3に、イシスという国があります。
ドラクエ3の世界は現実の世界地図を模して作られていて、イシスはアフリカ大陸に位置する、砂漠とオアシスにかこまれた国です。
イシスには女王さまがいます。
勇者一行が謁見しに行くと、女王ははじめましてのごあいさつもせずに開口一番、自分の美しさにたいする自慢のような愚痴のような独り言を言い始めます。
「みなが わたしを ほめたたえる。
でも、ひとときの美しさなど、何になりましょう」
ほかの国の王さまたちはたいてい、
「おお勇者よ、よくぞまいった!」とかそれっぽい挨拶をしてくれるのに比べて、彼女のコレはただの独り言。
トゥイートなのです。
じぶんの美しさを嘆くふりをして、実は「私かわいいでしょう?」とじまんするこの手口…。
「はぁ私まじブスすぎてつらたん★」と自撮りをアップする女子たちのように、かすかないらだちとおかしみを我々に与えてくれる名ゼリフでございます。
ファミコン版にはありませんが、リメイク版では女王さまのセリフが追加されておりますので、彼女の思想にいっそう近づくことが叶います。
「すがたかたち ではなく、 美しい心を おもちなさい。心には シワは できませんわ」
ふむなるほど…
ご自身の美しさを嘆くあの発言は、自慢からではなく、外見よりも心の美しさこそが重要だ、というお考えからだったのですね。
金銭や地位、評判といったかりそめの欲にとらわれることなく、人として優れた心を持ってより善く生きよう、とする態度は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの思想に近いものがあります。
ソクラテスは、当時戦争に敗れ、勝手気ままにそれぞれの権利欲や金銭欲をみたそうとしていたアテネの人々を批判し、自分の心を正しく、豊かにしようと努めることが哲学の目的だと語りました。
ハハーっ。
女王さまの含蓄豊かなありがたきお言葉を、勝手にうすっぺらく誤解していたわたしの心こそブスです。
「はぁもうブスすぎて無理www」です。
ちょっと滝に打たれて来ます!
えーさて、イシスのお城をおいとまし、町のほうへ下ってゆきますと、またしてもおかしな電波を発する人物に出会います。
2階建ての家に1人で暮らしているソクラスさん。
さきほどの、実在した哲学者ソクラテスに名まえが似ていることからして、すげえ嫌な予感がします。
はたして彼に話しかけると、「夜になるのを待っている」といいます。
ほう…
夜になるとなんかたのしーことあるんかい?
2階でヒミツの酒池肉林ウフフパーティでもやるのかい?と期待し、夜にもう一度会いに来てみることにします。
するとソクラスさん、
こんどは「夜が明けるのを待っている」と言うのです。
なんや自分、おかしなこと言うなあ、と首を傾げつつ街へ出ると、神父さんが彼を評してこう言います。
誰もソクラスのことを、呆けたやつ、などと嗤うことはできない。
人生とは結局、ああいうものなのではないだろうかと。
このソクラスさんはドラクエ3のメインストーリーとは一切関わりがなく、この発言も、これだけ示唆的でありながら、何らかの謎解きのヒントになるというものではありません。
またドラ10とは違い、3では単なる町人のひとりひとりに名まえがついているということもありませんでした。
ソクラスさんは、あきらかに特別なのです。
ブログその他のネット情報においては、このソクラスに関して、「永遠にないものねだりをしてしまう人間の姿」を表現したものとの見方が有力なようです。
なるほどたしかに…。
わたしたちは安西先生が舵を握れば「やっぱりりっきーがよかった」と言ってみたり、念願の顔アイコン改良がなされれば「2Dのほうが可愛かった」と言ったりして、いつだってつぎつぎに不満点をみつけだしてはゴニョゴニョしてしまうものですねぇ。
ですが、子どものころはじめてイシスの街でソクラスさんに会ったわたしは、彼の発言に対して、また別の印象を抱いていました。
「理由はよくわからないけれど、このひとは、ここにいることがつらいのかな?」と思ったのです。
朝日が昇るたびに夜の訪れを待ち、夜がくればこんどはその夜が終わるのを、部屋の中でただじっと座して待つ…。
ソクラスさんの姿をみているとなんだか、まるで彼が人生そのものに耐え忍んでいるような、早く時が過ぎてすべてが終わってくれるのを待ち望んでいるような、そんな悲しいすがたが見えた気がしたのです。
と、ここでは書きましたが、当時のわたしはまだ子どもだったので、こんなふうに明確にその印象を説明することはできませんでした。
自分自身のこの解釈を、はっきりと理解できるようになったのは、大人になって就職して、数年たったある日のできごとがきっかけでした。
その日、会社の同期があつまる飲み会がありました。
会社は同じだけど別の支社で働いている同期たちにも、ひさしぶりに会うことができました。
その中の一人に、研修で一緒になって以来で、約2年ぶりに顔を合わせる同期がいました。
彼は直属の上司とソリが合わなかったことが原因で、部内で孤立してしまい、もう会社をやめてしまいたいくらい居心地の悪い思いをしている、と話してくれました。
会社では一日中、まるで針のムシロに座らされているようで、つらくてつらくてたまらないと彼は言い、そして自分自身の毎日をこう表現したのです。
「おれはまるで、夜が来るのを待つためだけに会社に行っているようなものだよ。
毎日毎日それを繰り返し、週末が来るのをただひたすら待っているだけの人形みたいだ」
彼の悩み事を聞いている場面にもかかわらず、子どものころ遊んだドラクエのことなんぞ思い出してしまう自分のゲーム脳にちょっとした恐怖をかんじながらも、そのときわたしは思いました。
「ああこれだ、あのときソクラスから感じた悲しいイメージはこれと同じだ」と。
彼はその後、会社をやめて法科大学院に入りなおしたと聞きました。
日々のあまりの辛さに、早く夜が来てほしい、早く一週間が終わってほしい、と毎日泣いていた悲しいソクラス。
彼がそれにさよならして、今までの会社人生になかったものを求めにゆく、ワガママなソクラスに生まれ変われたのなら。
ああ、よかったなあ、と思ったのでした。
参考文献
『もういちど読む山川哲学』
2015年 山川出版社
『哲学用語図鑑』
2015年 プレジデント社
参考サイト
「DQ大辞典を作ろうぜ」
https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/ ほか