レイコのバランスパスタ

 ピンク色のみじかい毛束をようやく集めた小さなポニーテールと、くるみのような茶色い瞳のプクリポ。レイコはもういつからかわからないくらい、ずっと前からこの世界にいる。
 気をぬくと、自分がいる世界の名まえすら忘れそうだけど、アストルティアという。だって自分が今立っている世界の名まえは何?とたずねられたら君は答えられるだろうか。レイコは答えられる。だから大丈夫。この世界で料理の修行をうんと積んできたレイコは、もうどんな料理でも作れるレベル70の調理職人として、アストルティアにちゃんと根をおろしている。
 レイコは重い鎧や盾を集めたり、自分の体の何倍も大きな魔物たちとたたかうことが苦手で、とうの昔にぼうけんの書を開くのをやめてしまった。だから世界情勢のことは、レイコはよくわからない。もうすぐ来るという大魔瘴期のこととか、どうやら自分と縁遠い者ではないらしい魔仙卿とかいうおおげさな名まえの人物だとか。そういうニュースはくわしくないし、料理でつかう短剣以外の武器は、とりあえず危ないから持たない。
 あの日あの村で別れてしまった弟も、きっと自分と同じように、どこかで好きなことをして暮らしていると信じている。レイコはそれで良かった。追いかけなくても、今のままでも、十分だった。
 そんなレイコとは逆に、たたかいや世界の問題に勇ましく挑みつづける旅人たちは、この世界では冒険者と呼ばれている。キーエンブレムを3つと集めないうちにぼうけんをやめたレイコは冒険者ではなくなったけれど、夢中で各地の野菜や香辛料を買い求め、そして郷土のごちそうを味わってまわった。そんなふうに世界を練り合わせ、煮合わせて、あたらしい料理を作ることが、レイコのアストルティアになった。
 たまにどうしてもほしい食材があるときに魔物を討伐するけど、ほんとうは心から、たたかいたくない。そういう日には、レイコはむかし裁縫職人の友だちが仕立ててくれた無法者のベストをコックコートの上から羽織って、気持ちをふるい立たせて出掛けていく。
 このベストは冒険者たちの間ではもうとっくに時代遅れらしいけれど、レイコは自分の数少ない装備のなかでもいちばんに気に入っている。めったに冒険をしないので、襟や袖に鼻をつけてみても、ちっとも汗やけもののにおいがしない、ちっとも”無法者”を感じさせないベストだ。
 冒険者たちは古くなった服を専門のお店に頼んで、結晶とかいうものに替えてもらうらしい。結晶は服や盾に詰まった、彼らのたたかいのよろこびや、くやしさ、かなしさの記憶のようなもので、手にとると、きらきらと輝くのだという。その話を思い出すたびにレイコは、ほんの少しだけ、冒険者がうらやましくなる。
 冒険者たちとは違う道をえらんだレイコだけど、料理の修行は人一倍積んだ。調理職人の見習いになったばかりの頃は、オルフェアの調理師ギルドでマスター・ポシェルに手ほどきを受けた。ギルドにはレイコと同じ駆け出しのコックがたくさんいて、中には、生まれて初めて包丁やフライパンを使うという男の子もいたりした。ポシェルはそんな調理初学者にもきちんとタマゴの割り方から教えてあげたりする親切者だから、人気もあって、いつも生徒たちに囲まれて楽しそうに盛り上がっていた。でも、静かに集中して火加減を見たり、鍋の中で素材のにおいが変わっていくのを確かめたりするのが好きなレイコには、そのいつでもご機嫌で調子のよいところがなんだか合わなくて、自分が腕を上げると、だんだんギルドからは足が遠のいた。

 

 ある日、レイコはポシェルのもとで調理免許の試験を受けた。ポシェルが出した課題は「できたてのバランスパスタを持ってきてほしいのっ」だった。小麦の風味をしっかり生かして、そのうえ、下味の塩をちゃんと感じられるボイルの腕に自信のあったレイコは、鍋にお湯を沸かしながら、これは合格まちがいなし、と心の中でこっそり手をたたいた。
 料理は基礎がだいじだ。レイコはポシェルが教えてくれた調理の基礎をまもる。オムレツ1つから分量が難しいスイーツまで、ポシェルの教えをできるだけ逸れずにつくった。でもポシェルから習ったこととはべつに、レイコの中には、自分自身がお鍋やフライパン、油や果実と対話しながら見つけ出したレイコだけのルールやストーリーがあった。試験の日も、ギルドのキッチンで課題のパスタを作りながら、レイコはいままで自分がたくさんの野菜やタマゴ、お鍋やフライパンといっしょに書き上げてきた道のりを思い出して、ほこらしいような、せつないような、泣きたい気持ちになった。
 レイコの料理の極意、それはつまり。道具と素材と、それをあやつる自分にたいして、鍛冶師の目をもつこと。
 ずっと前に友だちが、レイコの背丈の3倍ほどもある両手持ちの剣を打つところを見せてくれたことがある。武器鍛冶職人は、材料を炉に入れて1000℃にも2000℃にも熱したあと、だんだん冷めはじめる鉄を、いちばんいい頃合いをねらって、一太刀、一太刀、打ち鍛えていく。同じ温度の瞬間は二度とこないし、打ちそこねた鉄は戻らない。ゆれるように熱い工房の空気の中でハンマーを振りながら、その一瞬と、なんとしても出会って通じ合おうとするような、真剣な鍛冶師の目を、レイコは今も忘れられない。
 調理職人のたいへんなところは、鍛冶師と同じ目を、同時にいくつものポイントに向けなければいけないことだとレイコは思っている。ほどよく半熟状になったホワイトソースを、ぴちぴちのアルデンテといっしょにいただくには、ソースとパスタ、それぞれにかかる時間を計算して、全部が同じくらいの時間にできあがるようにしないといけない。武器の鍛冶でいうなら、左の炉に火をくべながら、右の金床で同時にはがねを打つような、それはとてもむつかしい作業だ。
 びっくりトマトはヘタがきれいな緑色で全体によく熟したものを選んで、バザーで買った。湯むきして、短剣で4つに切ったあとスプーンをいれて、タネをていねいに取る。レイコの小さな手ではスプーンがぷるりと滑って、この作業は大変だけれど、ぜつみょうな食感を守るために、レイコは真剣にトマトと向き合う。パスタは茹でたときにくっつかないように、お湯をよく沸騰させてから両手でねじるようにお鍋に入れる。ボイルする間に、トマトと、行ったこともないグランゼドーラ王国から取り寄せたワイン、これまた地名しか知らないメルサンディ産のオリーブ油でソースの具材を炒めていく。
 お肉、玉ねぎ、オイル、パスタ鍋。いくつもの素材や道具たちと顔をつき合わせ、しっかり話し合って、ゴールまでのストーリーをたどっていく。ストーリーを進めながら、そして、一つひとつの作業に平等に、きびしい鍛冶師の目を向けつづけないといけない。戦士にもなり、軍師にもなる。それが料理職人だとレイコは思う。

 さあ、試験の緊張も最高潮。広いおでこがさっきからずっと緊張していて、汗が落ちないようにレイコは何度もハンカチで押さえた。最後に、余熱がじゅうじゅう鳴いているフライパンに、しんせんタマゴを落とす。ここでモタモタしないのがウデの見せどころ。手早くかき混ぜて、パスタといっしょにお皿に盛りつける。
 ほら、完成したよ。今日まで毎日欠かさずやってきた練習どおりのパスタができた。レイコのバランスパスタ、これならポシェル先生も三つ星評価、文句なしでしょ。
 なのにポシェル先生は、
「あららら~?レイコちゃん、ゴメンね~。これじゃダメなんだよっ」
レイコのパスタ皿を一目見ただけで、味見もしないで、採点表に×印をつけた。
「ゴメンね、レイコちゃんっ」
目をしばたたかせて謝るポシェルは、言葉とはうらはらに、口元がいつものように笑っている。
「どうして、先生、だってこれ、すごく美味しいはずです。タマゴも新鮮で、トマトだってもぎたてで。ソースだってわたしが長年研究した最高の配分だし、それに」
「レイコちゃん。あのね、それ、バランスパスタじゃないのっ」
 ポシェルがあんまりいつもと同じ顔でほほ笑むので、レイコは少しむっとする。でも、思い出した。
そうだった。
「レイコちゃん。バランスパスタはね、レシピが決まっているの」
 レイコはすっかり忘れていた。ポシェルのギルドでは、すべてのメニューでレシピが決まっていた。さらに、具材をどれくらいの火の強さでどのくらいの時間炒めればいいのか、フライパンをいつターンさせればきれいな焼き色がつくか、そういう手順を熟練の職人たちがひとまとめにした手順が広まり、もはや調理職人でさえあれば、だれでもバランスパスタが作れた。
 これもレイコはすっかり忘れていたのだけれど、レイコがあまり調理ギルドに寄りつかなくなった理由は、手順をまちがいなくこなして同じ料理を作るために努力する職人たちになじめなかったからだった。つまらなかった。たいくつで、それに、なんだか後ろめたいように思っていた。星の数ほど調理職人がいるのに、だれがつくっても、いつの季節につくっても、同じ材料の同じバランスパスタがバザーに並んでいるなんて。
 試験課題はバランスパスタ。それはレイコの作ったのとは違った。そうか。試験では、あのパスタを作らなきゃいけなかったんだ。ギルドで売ってるオイルと、なぜか漁師が専売してる既成のコクうまソース、決められた量の小麦とトマトを使う、全国でおなじみのあのパスタ。
 炒めるときのオイルはデリシャスという銘柄を使うことに決まっている。調理ギルドのお店でしか買えなくて、原料もヤシの実なのかプクランサフランなのか、レンダーシードなのかもわからない。工場がどこにあるのかも誰も知らないし、疑問にも思わない。そういう料理がレイコはなじめなかった。言われたとおりの具材をまぜて、ほかの職人とおそろいの高級なフライパンを使って。そうやってみんなが真似しあってつくるパスタなら、レイコがつくる意味がないじゃないか。
 でもちがった。ギルドにいる他の職人のテーブルで、ほかほか湯気を立てているバランスパスタの、何ておいしそうなこと。ポシェルがバランスパスタを課題にしているのには意味がある。オイルでツナとトマトを炒めるだけのシンプルなオイルパスタは、濃い味でごまかすことができなくて、じつはとても難しい。この料理を、長い間、世界の冒険者たちが必要としているのにも理由がある。食べたくさせる、理由がある。そういう料理を、作りたいと思った。
「ポシェル先生、ごめんなさい。わたし何もわかってなかった。バランスパスタ、もう一回勉強しなおします。そうしたらまた、試験を受けに来てもいいですか」
 ピンクのポニーテールがしょんぼり下を向いているのが、自分でも見えていた。周りの職人がみんなレイコのパスタを見て笑っている気がして恥ずかしかった。
「わわわ~、レイコちゃん!やっぱりあなたってステキなクッキンガールね!あなたをはじめて見たときから、他のお弟子さんたちとはちょっと違うって思っていたわ!」
 レイコは口をぽかんと開いた。ポシェルに顔と名前を覚えてもらえるほど、自分は調理ギルドに通っていないはずだった。ポシェルの瞳をのぞきこむ。その瞳は、ちゃんとレイコを見ていた。
 えっ?わたし?
「先生、どうしてわたしを知っているの?わたし何年間も、ギルドに顔も出さなかったのに」
「えっ?」
こんどは、ポシェルがレイコの顔をびっくりしてのぞきこむ番だった。
「レイコちゃん、わわわ~、まさか、そんなことって!もしかして知らないの?あなたのパスタ、今、すごいことになっているのよ!?」
 すごいこと……?
 「レイコちゃんがバザーに出荷してるパスタ、今、すごく人気があるんだよ。タマゴをベースに使ったパスタなんて今までなかったから、以前はあまり知られてなくて。でもね今、世の中は体力も回復もまかせとけ、っていうすっごーく強い僧侶を求めてるの!」
 敵の攻撃に対抗できるたくましさと回復魔力、両方を手に入れることは、長い長い間、僧侶みんなの願いだった。それを叶える、いま何より世界が求める最強のパスタを作ったのは、
「あなたよ、レイコちゃん」
 世界中の僧侶の未来を照らした悲願のパスタ。それが今ここにある、レイコ特製の、ヒール・カルボナーラ! 
 えっ?何を言ってるの、マスター・ポシェル。だってわたしのパスタは、白っぽくて彩りもない、全然食卓の主役にはなれない地味なパスタ。だけど万能食品とよばれるタマゴをつかって、栄養なら他のどのメニューにも負けない、それはレイコの “バランス” パスタだった。
「いまヒール・カルボナーラを知らない冒険者はいないよ、レイコちゃん!」
 レイコはもう一度ぽかんとしてしまった。自分が作ったパスタがそんな名まえで呼ばれているなんて、全然知らなかった。
 ヒール・カルボナーラ。だれが最初にそう呼んでくれたのだろう。レイコがパランスパスタだと思ってバザーに並べていた、名まえのなかったこのパスタを。まるで手を伸ばしたらそこにはじめからあった日だまりのように、やわらかくてあたたかな、これ以上ないすてきな名まえ。
 「レイコちゃんは、レイコちゃんにしか見えないクッキンドリームが見えてるんだよ~。それって、すっごくすっごく、すっごいこと。ねえレイコちゃん、クッキンドリームは1個じゃないんだね。自分だけの料理が見える。それってあなたに、あなただけの料理の才能があるってこと」

  明日、レイコは旅に出る。今からでも、ちょっとずつでも強くなれれば、まだ知らない草花やきのこやどうぶつたちから、新しいレシピを見つけられるだろうか。今回のは偶然だったけど、いつかまたレイコが作った料理で、ひとつの時代をつくれるだろうか。わたしだけのやり方で、平和のうちに人々が料理をたのしめる時代をつくることができるだろうか。バラシュナの闇の炎を凍らせ、炎の闇を冷気で消し去る、レイコのバランスパスタの時代が来たように。
 明日、レイコは7年ぶりの旅に出る。いつか友だちが縫ってくれた、無法者のベストを仕立て直して着よう。ああ、そうだ。わたしに鍛冶職人の目をくれたオーガのあの子は、今何をしているだろう。
 だって自分が今立っている世界の名まえは何?とたずねられたら君は答えられるだろうか。レイコは答えられる。わたしはアストルティア最高の料理を追い求める調理職人。だからきっと大丈夫。キーエンブレムを集めて、もうちょっと筋肉も世界の知識もつけて、魔瘴の謎にも近づけたなら、いつか。いつかまたあの子に会えるだろうか。

(おわり)


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