ドラクエXをはじめてプレイした日のことをおぼえているでしょうか。
五種族のうちからひとつを選び、はじめてその身体でフィールドへ出、最初の一歩を踏み出したときのことをおぼえているでしょうか。
そのとき、「キャラクターの身体が、自分のからだのようにしっかり自分についてきている感じ」、「思惑通りに操作できている感覚」は得られたでしょうか。
それとも、「自分よりも歩幅が大きすぎるな」とか、「体が重たい気がするな」とか、なんとなくぎこちない気持ちになったりしたでしょうか。
こんばんは、ドラクエ総合大学のマキ学長です。
わたしは自分がエルフになってツスクル平野に降り立った日のことを、6年以上経ったいまでもはっきりとおぼえています。
エルフは走る動作をするとき、けっこう極端な前傾姿勢になります。
エルフ族のもつ真面目で勤勉な性質が、そのまっすぐな走り方にも表現されているといったところでしょうか。
まっすぐに前を見すえ、短距離走者みたいに規則正しく手を振って走るエル子の姿をずっと見ていると、わたしは、まるで自分自身がそんなふうに走り続けて、息苦しくなったような気がしてきました。
これは、これまでほかのどのゲームをプレイしても経験したことのない感覚でした。
わたしは、ゲームをしているプレイヤーが、画面の中の自キャラにリアルな自分自身を重ねる度合いのことを自キャラ同一性と呼んで研究しており、当大学ブログでも何度か研究レポートを公開しています。
わたくし、かねてから、つぎのようなことにすごく興味を持っていまして。
「プレイヤーは自分のキャラクターにどの程度感情移入するのか?」「どれくらいキャラクター=自分自身、という認識でプレイしているのか?」
この自キャラ同一性の個人差によって、プレイヤーがネトゲ内で使う一人称にも違いがあるんじゃなかろうか…?
たとえばそんな研究を行ってきました。
これらの過去記事については今日のブログの最後にリンクしていますので、あーた、どうせひまなんでしょうからあーた読みなさい。
さて今日研究していきたいのは、「自キャラ同一性は、キャラとリアルの自分の身体的同一性から、少なからざる影響を受けるのではないだろうか」という問題です。
私が立てている仮説を先に言った方が、話がわかりやすいと思いますので書きますと…、
「プレイヤーは、画面内のキャラクターに、自分自身との身体的な類似性・同一性を感じれば感じるほど、自キャラ同一性も高まり、キャラに没入しやすくなるのではないだろうか」
そんなふうに考えています。
ゲーム内キャラと、リアルな自分自身の身体的特徴や、立ち振る舞いが似ていればいるほど、わたしたちは、仮想世界で生きる自キャラを自分自身のように感じるのではないだろうか。
これがわたしの考えです。
わたしはエル子を操作しているときにのみ、自分の自キャラ同一性が高くなっていると感じます。
サブキャラのウェディ男やドワ子を操作している時には、キャラと自分のつながりをあまり感じることがありません。
エル子になったときだけ、自分自身とエル子が身体的にも精神的にもリンクしているように感じるのです。
そのことについて考えるうち、「エル子とわたしの、身体的な特徴や、身振りが似ていることが関係しているのではないだろうか」と気がつきました。
リアルマキ学長の身体的特徴は、だいたい以下の通りです。
2、やせ型
3、低血糖、低血圧。すっぴんの顔色が悪い
また、リアルわたしの身振りや、立ち振る舞いにおける特徴は、以下の通りと考えます。
自分で書くのもなんか恥ずかしいけど。
2、同じく親に厳しく言われたので、足音が立たないように歩いたり、周囲の環境に配慮しながら振る舞う方である。
3、座っても背を丸めないので、姿勢が良いと周囲から言われることがある。
背筋をのばして正座するエルフ
お上品に笑うエルフ
敵をブン殴った後お辞儀するエルフ
わたしはここまで綺麗な所作をしてるわけじゃないですが、姿勢が悪いと親にブッたたかれて育ったため、「できるだけこうあろう」と自分が意識している姿に、エルフは近いものがあります。
もしわたしが座ったらこう座るであろう、歩くならこう歩くであろう、…という姿に近いものが、このエルフという種族の一挙手一投足にはあります。
以前わたしは、自キャラ同一性と種族の選択について研究した記事を書いたことがあります。
その中で、「プクリポでプレイしている人は、自キャラを自分の分身と言うよりは、自分の子供やペットのように認識している人が多いのではないだろうか?」
「プクリポプレイヤーは自身と自キャラを同一視しにくく、自キャラを客体視する傾向があるのではないか?」ということを書きました。
プレイヤーがプクリポに対して客体視になりやすいのは、小さな獣のような外見から、自分とプクを重ね合わせにくいためだと思います。
さらに、空中でクルリと回転するなど、人間とかけ離れた動きをするゆえに、五種族の中で最もリアルな自分との身体的な近似性を感じにくいのが、プクリポなのではないでしょうか。
わたしは現在、ファイナルファンタジー11も遊んでみているのですが、タルタル族というずんぐりした3頭身の種族を選びました。
体が小さくて、お鼻が黒くて耳がとんがっていて、ぷりっむちっとしたおけつと太もも。
ドラクエXでいうと、ドワ子に近い雰囲気で、ホビット的な風体をしています。
とてもかわいいなあと思いながらプレイしていますが、やはりタルタルは自分自身ではなく、何か可愛いぬいぐるみを愛でているような感覚があります。
ちなみにFF11のキャラは、「エイッ!」とか、「キャアア!」とか、戦闘中に声を出します。
タルタル族の出す声は、高くて幼い声なので、そのせいもあって余計にタルタルを自分と同一視しにくいのだろうと思っています。
声というのは、自分と他者をつなぐコミュニケーションに密接に関係していますから、自キャラ同一性を感じるか否かといった点において、とても重要な要素なのかもしれません。
自キャラ同一性の応用…
バーチャルな見た目で脳をだます時代へ
ここまで、「自分とキャラとの身体的特徴が似ていると、プレイヤーは自キャラを自己と同一視しやすいのではないだろうか」という話をしてきました。
ここからは、この自キャラ同一性を逆手に取ったような、斬新な実験をご紹介します。
東京大学大学院では、VR(仮想現実)を使ったプロテウス効果の実証実験が行われているのだそうです。
プロテウスとは、変幻自在に姿を変えることができるというギリシャ神話の神。実験によれば、VRで自分の姿を変えることによって、たとえば運動や仕事などのパフォーマンスを向上させることができるというのです。
たとえば、ダンベルを使った筋力トレーニングをしようとしている男性がいるとします。
男性にVRゴーグルを装備させ、スコープ越しに映る自分の姿を見ながらダンベルを上げ下げして、トレーニングをしてもらいます。
このとき、VRに、実際の男性よりもマッチョな男性の姿を投影すると、いつもよりもダンベルが小さく、軽くなったような感覚になるのだそうです。
反対に、VRに映す姿を細く華奢な体にした場合、実際にはダンベルの重さは変わっていないのに、男性はダンベルが重く感じ、腕が折れてしまいそうな気持ちになったと言います。
この実験をしている大学院講師の言によれば、見た目が変わったことによって、男性は無意識に筋肉の使い方を変えており、その結果、ダンベルの重さが変化したように感じるのだそうです。
講師によれば、これはすべて脳が人間に見せている錯覚。
人は、自分が思っているよりずっと、自分の見た目によって自分の行動を決定しているものなのだ、とその方は言っていました。
人間のこの性質と、現代におけるプロテウス神…VRの力を存分に活用し、自分の見た目を操作して脳をうまくだましてやる。
そうすれば、人は様々な分野において、よりよい結果を出すことができるのではないか?というのです。
たとえば、会社で、アバターを使った遠隔会議を行うとしましょう。
このとき、全員のアバターの表情を笑顔にすると、良いアイディアが出たり、建設的な議論が進みやすくなるという効果が期待できるそうです。
ほかにも、自分のアバターを、きりっとした、仕事のできそうな顔にするだけで、自分に自信が生まれ、個人の仕事にも良い影響が出るのだとか。
なるほど、身近な例で考えてみれば、SNSで使うアイコンを変えるだけでも、自分の発言や態度になんとなく影響を及ぼすような気もします。
そう考えてみると、巷にあふれるSNOW盛り盛りの自撮り写真も、おとしごろの少女たちにとっては、自分に自信を与えるための、大事な魔法なのかもしれないなあと、ちょっとだけ乙女心がわかるような気もします。
〈参考資料〉
日本経済新聞電子版5月21日
「他者に変身 心まで溶かす 仮想現実が拓く世界(3)」
▽「自キャラ同一性」関連研究はこちらからどうぞでーす。