サフランローブの君でいて



どういうわけか長い間記憶に貼り付いていて、何度も思い出してしまう言葉、というのがないだろうか。
べつに有名なエピソードを伴っているわけでもなく、もちろん炎上したわけでもないのに、なぜか心に残っているネット記事やツイートってないだろうか。

日ごろから病的に文字情報ばかり徘徊しているわたしにはそういう、断片的でかつ秩序がないくせに、何年経っても消去される気配のない言葉たちがいっぱい溜まっていて、長年困っている。
だから今日はその話をしたい。
生活に必要ないろんな知識や行動様式の記憶とは別に、わたしの脳には、ひたすら記憶の破片をゴミ屋敷みたいに溜めぬくためだけのストレージがたぶん5テラくらいある。
そこに半ば打ち棄てられているゴミ山のような記憶たちは、記憶するに値するかどうかの意思決定すらわたし自身に放棄され、要否を決定しきれず増えていく戦神のベルトみたいにわたしを圧迫している。
そんな5テラ分の記憶のゴミ山にはもちろんドラクエに関する記憶ファイルも数多く堆積していて、そのひとつに「サフランローブの君でいて」っていうフレーズがある。



「サフランローブの君でいて」は、いまから8年前、ドラクエ10がサービス開始した2012年に、どっかのドラ10プレイヤーが2ちゃんねる掲示板に置いていった言葉だ。
べつに投稿者が有名人だったとか、スレが炎上したとか、そんな出来事も何もない。
なんだけど私は、このフレーズに出会った瞬間に脳のひだをスッパリ1辺持っていかれてしまって、以後、今にいたるまで記憶容量の一部を割かれたままでいる。

当該2ちゃんスレそのものは8年の歳月によってもはやネットの亜空間の彼方に消滅してしまったらしく、検索しても行方をつかめない。
けれどこれまた今となっては誰も管理していないまとめサイトの廃墟がかろうじてこのスレのコピーを保管していて、わたしは今でも「サフランローブの君でいて」を定期的に見に行ってしまう。
8年経ってるのに。

元スレにこのフレーズを投稿した男性はドラクエ10プレイヤーで、アストルティアに気になっている女性がいたようだ。
そして気になる彼女はいつもサフランローブを着ていた。
男性はスレで、彼女の思い出にふける。
ほんわかした優しい雰囲気が好きだったのに、時間がたつにつれて彼女は、効率にばかりこだわる、感じの悪い廃人に変わっていったのだと悲しむ。
そしてあの頃の、いつもサフランローブを着て涼やかに笑っていたころの彼女にもう一度会いたくて、当時の彼女そっくりのキャラを作ってしまった、と結ぶ。

彼女のキャラを作ったくだり自体はまあまあ気持ち悪いけど、投稿の文章が上手く、軽妙だったので、この話はたちまちスレの住人にウケた。
で、盛り上がった住人の一人がこのエピソードをまとめて、「サフランローブの君でいて」ってタイトルをつけた。

「サフランローブの君でいて」。
いい。
いいじゃない!
サフランローブ、っていうごく初期装備の初々しさも、まだネトゲ慣れしていない女の子の頼りない感じも、彼女とずっと笑いながら冒険していたかった男性の気持ちも、なかなかよく伝わってくる。
素朴にして絶妙なタイトルに、わたしはとても感動してしまったというわけなのだ。

だけど「サフランローブ」がわたしの記憶領域に今も陣取ってやまない理由は、インターネットのなかに、デジタル社会に、こういう時代が存在していたことそのものへのサウダージだと思う。
仮想空間で気になる相手ができてしまった自分に、驚き、おびえていたあの頃の人たち。
現実には誰かもわからない相手に執着を深める自分を、後ろめたく思って悩んでいた人たち。
好きになりすぎてしんどくなってフレンドを消した人たち。
せつない笑い話に換えて、悶々とした悩みを打ち明け合っていた人たち。
かれらが「私も同じだよ、大丈夫」ってささやかに互いを支え合ったりしていたこの黎明期の風景を、きっとわたしたちはもう二度と見ることができない。

それは優しいむらさきと黄色のローブみたいに、イノセントでプリミティブで、いまとなってはもう誰の手も届かないアストルティアの記憶の園だ。
だから「サフランローブの君でいて」、この言葉を、わたしはきっとこれからも何度となく確かめに行く気がする。
インターネットを手に入れて20年以上が経って、わたしたちが失くしてきたたくさんのものが、あのページに詰まっているから。


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