バージョン6・ストーリー先行不安症候群

はあい皆さま、おひさしぶり
相変わらずブログはほったらかしだけどドラクエ10には勤しんでるよ!
マキ学長です。

バージョン6初日からやってます!だけどストーリーやるのが不安

 きょうは11月14日。バージョン6になってからまる3日経ってるけど、私はまだ新ストーリーに手を付けていない。
 初日、先にやってしまおうと思った邪神の天獄に大苦戦して終了。2日目は楽しみにしていた新防衛軍に参戦、手こずって勝率5割もいかずもやもやしたので寝る前に美容室に立ち寄りポンパドールをオーダーして就寝。3日目、海賊に転職してみたけれど大砲がうまくセットできず、明後日の方向を爆撃しまくる自分に疲れて撤退。
 おいストーリーいつやるんだ、私。いつまで後回しにするんだ。いやわかってる。ねえ、誰か、俺も私もそれわかるよ、って言ってほしい。私、ストーリーやってがっかりするのがきっと怖いんだ。

 

不安なのはバージョン5のお話に納得感がなかったから

 いやプレイする前から勝手にがっかりするなよ、私ってやつは小さいころからご飯もお菓子も食わず嫌いが多くて面倒だった。でもでもだって私、バージョン5のお話にほとんど納得できなかったんだもの。自分が魔界にいることに、最後まで違和感がぬぐえなかったんだもの。もしかしたらこれは、Ver5の期間中、私以外にもいろんなプレイヤーがいろんなところで思ったことなのかもしれない。率直に言って、私というプレイヤーの内心は、バージョン5の物語を歩くあいだ、勇者の盟友たるキャラクターから終始乖離していた。
 主人公の出生の秘密というサービス開始以来最大の謎が解けたバージョン4を終えて、これ以上この世界で追求したい謎がない、感情移入の入り口が乏しいバージョン5は、考えてみればそもそもプレイヤーの気持ちを掴むのが難しかったのではないかと思う。
 だけどそれを差し引いても、私は魔界に興味が持てなかった。ゼクレスの女王と王子が不仲だったこと、ファラザードの商業が滞っていたこと、三国が戦争を始めたこと。そういう魔界側の内情と、自分とのゆかりを感じるのがとても難しかった。バージョン5の物語の、少なくとも前半部分で語られたのは、何が起ころうとしょせん「あちら様の事情」だった。魔族になってしまった自分の姿をもとに戻すという目的で、魔界に踏み込むまではわかるが、各国に出向いて「対岸の火事」にどんどん深入りしていく主人公に私は置いてけぼりを食ってしまい、バージョン5はドラクエ10をやってきて今までで一番、私自身の主体性を感じることができない物語となった。
 最終的には「大魔瘴期は魔界だけでなくアストルティアにも累を及ぼす。だから魔界と協働しなければならない」という展開になったが、その動機が出てくるのが遅くて後付け感が否めず、後半も私の盟友はだいぶ白けたまま世界を救った。

そう、私には、魔界で何が起ころうと関係ない……。

 
 さらに言うなら、「永く敵対してきた者同士の和解」という、バージョン5のもっとも重要で困難なテーマを、もっと丁寧に描いてほしかったと思う。魔界サイドとアストルティアサイドの邂逅から衝突、結束せざるを得ないトラブルの発生でしぶしぶ共闘するようになるも、なお心にはわだかまりが残る……。そういう場面場面を、両サイドの人物がどんな気持ちでどんな表情で過ごしてきたのかを、私はもう少しよく見せてほしかった。
 1つ例を挙げるなら、勇者アンルシアと女王ヴァレリアの関係性の変化なんかはもっとちゃんと見たかったなと思う。終盤のダンジョンでパーティを組んだ二人が互いを好敵手のように意識しながら励まし合って攻略していくシーンは良かった。でも大事なのはその前段階の「厳しい戦いを協力して乗り越えるうち、しだいに互いの力を認めるようになり、信頼し合うに至った」プロセスではなかったか。この間の勇者と魔王の、言うなれば人界と魔界の葛藤の文脈が乏しかったために、彼らが悩みながらも過去を乗り超えたことの重さがいまひとつ伝わってこなかったのは惜しかった。

 敵対した歴史がありながら、それを忘れて手をとりあうというのは並大抵なことではない。幾千年と対立してきた異界どうしが和解するのは、闇の根源を倒す、というシンプルな勧善懲悪的な行動よりも、ずっとむつかしいことではないだろうか。今の日中、日韓の関係だとか、政治的分断がさらに激化しているアメリカなんかを考えると、ことさら私はそう思う。

 そんなこんなでバージョン5で物足りない思いをした私は、バージョン6のあたらしい物語を前に怖気づいている。そんなことない、ないない絶対にないと思うけど、もしもバージョン6が、「天使様の試練を受けてもっと強くなりましょう」だけだったらどうしよう。いやそんなはずはない、これはドラクエだぞ。新ストーリーといいながら何の物語性もなく、キャラクター強化するだけのゲームライフを送るなんてドラクエじゃない。
 ただでさえ今回のアップデートでステータス強化要素が増えた。新宝珠、達人オーブレベルアップ、魔塔にもまた登らなくちゃならないし、ディエゴ君のお題も増えててスタンプ帳みたいなやつを見ただけで気が遠くなった。中でも魔塔は考えただけで億劫で鳥肌が立つね、おてうさんがTwitterで「謎解き要素がある」って言ってたしちょっといやかなりプレッシャー、楽しめるかどうか私不安です。
 だからこんなまるで現実のお仕事みたいにタスクリスト山積みの私たちの心を、頼むからメインストーリーだけは温めてほしい。コロナと小室圭氏とせかいじゅの葉問題で荒れ果てちまったこんな私たちでも、愛と勇気と冒険心が今も枯れてないってこと確かめさせておくれよ!

Version4みたいなガツンとくる物語をまた読みたい

 過ぎたことを言うのもなんだけれど、私が過去最も評価できると思ったストーリーはバージョン4である。登場人物死に過ぎ、話重たすぎ、一家離散しすぎ、と賛否ある内容だったかもしれない。でも私には、そういう救いのなさをガツンと描いた文学色の濃さがすごく良かった。
 象徴的だったのはやはりクオードとメレアーデの姉弟。紆余曲折の末にやっと見えた希望をつかむ途上で死んだ弟と、白くなってしまった髪の毛にかまう暇もなく、ひとり国を背負って生きるしかなくなってしまった姉。王族だろうが時渡りという常人離れした能力を持とうが、巨大な宿命に押し流されて生きるしかなかった彼らはまぎれもなく人間であって、リアルな人間を描いた容赦ない文学性が私は好きだったのだ。
 あんなに可愛い少年だったクオードはなぜ躊躇もなく実父に刃を向けられたのか。なぜウルベア皇帝殺害なんて身の毛もよだつことをやりおおせることができたのか。メレアーデに再会した後のエテーネのあの日、彼は無茶しなければ死ななくても済んだはずなのに、でも赦されたような顔でこの先何十年も生きていくことに耐えられなくて、わざとあんな危険なことをしたのだろうか。ねえクオード。どうしてだろうね?
 私はこういう、立ち止まって考えなければ、こちらから歩みよっていかなければ理解できないような物語が見たいのだ。どう考えたって犯人の心の中がわからなくなってしまうような事件が次々と起こる今だから、よけいにそう思うのかもしれない。


 さて、書きたいことを書けて踏ん切りがついたのでマキ学長、グダグダ言っていないでストーリー始めようと思いまーす。ポストをのぞいたら懐かしいプクリポから「マキさん、飛びましょう!」とかいう頓狂な手紙が届いていて、あれ、前バージョンの冒頭も「いっしょに空飛びましょう」じゃなかったっけ、え~マジかよ出だしからかぶってるのかよ、と一抹の不安を感じつつ、飛んできたいと思います。
 ニュースによればあの小室圭さまも今日、太平洋を越えて飛んでゆかれたようで、天界をめざして空を行くには、何かと縁起がよろしそうです。