デジタル時代と「一体性」の研究

はあい、皆たま
マキ学長ヨ!

東大の研究チームがことし3月に、おもしろい発見をしたんです。
わたしいそがしくてなかなか記事が書けない間に、時間が経っちゃったけど。
チームが実験によって発見したのは、「おなじ言葉や文でも、指でスマホに入力するより紙の手帳にペンで書きこんだほうが、どうやら脳の活動が活発になるらしい」ということでした。

スマホに入力するグループ、タブレットにデジタルペンで筆記するグループ、そして紙製の手帳に筆記するグループ。
この3グループにそれぞれの媒体を使って、同じスケジュールを書き込む、という作業をしてもらった結果、手帳に書いたグループが書き終わるのがもっとも速く、さらにスケジュールに関する記憶の定着も良好だったというのですね。
紙に一文字一文字書きつけるアナログスタイルは、デジタルスタイルに比べて脳内の血流を促し、言語や記憶の機能を活発にするのだとか。

リアルにはデジタルにない手触りと味わいがある、とか、ゲームばかりしていると現実の温かみや厚みを忘れてしまう、みたいな議論はずいぶん前からありましたし、きっとそういう面もあるのだろう、とは誰もがうっすらと思ってきました。
でも、なんとなくそう思っていたというだけで、今までずっと、根拠らしい根拠は見つかっていなかった。
確たるエビデンスもないままに「ゲームよくない!バーチャルこわい!」と言われ続ける世の中で、我々おたく族はなんとも肩身の狭い思いをしてきたものです。
それがここへ来て、現実とバーチャルがわたしたちの体内でどう処理されているのかが、少しずつ解明され始めているというわけで。
これはものすごく興味深いことだなあと感じています。



スマホをぽちぽちするよりも、紙にインクを引くことの方が、脳内に良いケミストリーを起こし、インスピレーションやアイディアを生まれやすくする。
その有意性とは、文字を書くその指先の感覚と、外界の変化が一体である点にあるのではないだろうか、とわたしは考えました。
経験が身体性をもつことで生まれる、自分と世界との一体性。
この一体性こそが、物事や行動に現実感を与えるキーワードなのでは?と。

仮にそうだとすれば、たとえばネトゲのようなデジタル体験であっても、自分の身体や体験と、バーチャルの変化が連動していればいるほど、人はそこに「現実を生きている心地」を感じられる、ということになりそうです。

まさにネトゲは、とくにドラクエ10のようなMMORPGは、現実と違わぬ質量感をもった高みを目指しているのでしょう。
すでに6Gが見え始めた通信技術の発達を考えると、ネトゲはもっともっとリアルに連携するようになり、リアルはゲームに影響を与えるものになっていくのでしょう(たとえばドラクエウォークで、たくさん歩くと報酬が増えるように)。

そしていつか、対立概念だったリアルとデジタルは、ひと続きの地平になっていくんじゃないかなあと想像しています。
「ゲームはだめ、お外で遊びなさい」というお小言が、意味をなさなくなる日も、きっと来るのだろうと。

キーワードは「一体性」。
一体性は人と人を、人と記憶を結びつけ、動機づけるものなのかもしれません。
まっしろな手帳に自分の手で来月の予定を書き込むときに、人は期待のよろこびを感じる。
この一瞬の地続きに、他の誰かと立つからこそ、人は人らしくいられる…。

なるほどね、これまたなんとなく、きっとそうなんだろうな、と思えます。
だけどわたしなんぞに答えが出せるわけもなく、ただただ想像を膨らませるのみ…。
東大の研究チームさんがこれからも、デジタル×リアル×人間の研究を進化させて、この不思議な三者関係の謎を解いてくれることを楽しみにしています。

わたし個人の体験を言えば、おなじ敵を倒すために話し合い、敗けたり勝ったり、数々のイベントを共にしてきた人々とわたしは、やはりその一瞬一瞬の「地続き感」の共有を通じて、親和性を高めてきたと思っています。

おなじ地面にのっかって、毎年、おなじ日、おなじ時間に、何度となくいっしょに花火を眺めてきた、名も知らぬ人々。
まだネトゲを始めたばかりの頃、かれらをフレンド₌「友達」と呼ぶことに、違和感を感じていたことを思い出します。
けれど8年経った今、わたしは彼らを呼ぶべき「友達」以外の呼称など、なにひとつ思いつかないのでありました。

ほんじつは、ここまで。
マキ学長でした。


【参考資料】
「紙の手帳の脳科学的効用について~使用するメディアによって記憶力や脳活動に差~」東京大学総合文化研究科・教養学部プレスリリース、2021年3月19日


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